バイデン政権後のマイグレーション・ガバナンス(2)

 前回は、移民の保護をするときに本国民の福利厚生についても注意が向けられなければならないというところで終わっていました。今回はその続きを書こうと思います。


DACAからDAPAへ?

 前回は、DACA (Deferred Action for Childhood Arrivals)よりもオバマケアの方が全居住者の福利厚生に資するものだとお話ししました。オバマケアの場合、原則として外国人であっても、長期滞在者はその制度の対象に入ります。したがって、原則、米国人、外国人の区別がありません。これが大切なことだと思います。

 他方、DACAを問題視していますが、これはDACAを廃止すべきという主張ではありません。一般に、庇護申請や不法入国の問題を議論するとき、「同伴者がいない未成年(unaccompanied minors)」についての取り扱いをどうするか、ということが需要な検討事項になります。未成年者は本人の意思で移住を試みているとは判断し難いため、また、人間の重要な成長過程を過ごしてきた国での居住が望ましいと考えられるため、このような人々に対して合法的な滞在を認める国が一般的となっています。DACAも、これと同様の趣旨による行政判断だということができます。そしてこの趣旨そのものに反対する人は、それこそその倫理観について大きく問われる必要があるのではとすら思います。

問題は、恩赦、つまり滞在の合法化を認められる人を当初は未成年だけとしていたのが、次第にその両親や家族にまで広げようとする、いわゆるDAPA (Deferred Action for Parents of Americans)と呼ばれる制度化を進める動きです。この動きのどこが問題か、というと、それは、義務と権利の対価関係について一般の人々が抱いている感覚からかけ離れた論理が横行する危険があるからです。


アファーマティブ・アクションの限界

 法学の専門家から伺うと、義務と権利は必ずしも一対一の関係にあるわけではないとのことで、厳密な法学の議論の余地がある問題だと思います。私が気にかけているのは、一般の国民(選挙民)がこのことについてどう考えるか、どう感じるか、という点です。小さい子供が訳も分からず異国の地に連れてこられた、という経緯については、多くの人は同情的だと思います。しかし、違法であること(または違法となること)が分かっている、分別のつく大人が取った行動に対して寛容な措置を国が示すことについては、多くの一般人は疑問を抱くでしょう。

 私は、寛容な措置を国が示しては「いけない」とは思いません(異論もあるとは思いますが)。しかし、そのような方針を示すにあたっては、国民が十分に納得するような説明を加える必要があると思います。合法滞在が彼らの当然の権利か?というと、そうとはとても言えないでしょう。他方で、親子が引き裂かれてもよいのか?と問われると、それはかわいそうだとも思います。しかし、感情論だけで国が動くわけにはいかないのは当然ですよね。

 この点、実は、DAPA制度そのものはそれほど問題はないと思っています。不法滞在者の人々に、改めて合法滞在を申請するためのあくまでも「機会」を与える、というものですから。しかし、それを推し進めようとする人々は、その認可の基準にまで寛大さを求めているように感じます。これこそが、現代のアメリカにとっては大きな問題になるのだと思います。


なぜか?

 答えはシンプルです。米国内の格差が耐えきれない程度に拡大しているからです。裕福な米国人が、貧しい外国人を迎え入れてあげる、という構図はもはや非現実的です。もちろん、多くの先進国では(途上国はもちろんのこと)、今でも外国人労働者の失業率は一般国民の失業率よりもずっと高いですし、低賃金、悪い環境での仕事を余儀なくされている外国人は依然として多いです。問題は、そういう恵まれない環境に対して寛容さを保てるだけの米国人が少なくなってきた、ということ、経済的な余裕のある人が少なくなってきた、ということです。このことに、バイデン政権が目を背けないでいられるかどうか。アメリカが今後安定的な政治体制を維持できるかどうかは、少なくとも国内的にはこの問題の舵取りをうまくできるかどうかにかかっているように思います。





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