入管法改正案と収容施設での悲劇は無関係!?

更新日:2021年5月26日

暫くぶりにブログを再開します。ここのところ多忙を理由に怠けており失礼しました。

今も立て込んではいるのですが、驚くべきニュースが舞い込んできたので、これは書かねば、と思い立った次第です。


 先日、出入国管理及び難民認定法等の一部を改正する法律案の成立が見送りになりました。これは、令和3年2月19日に閣議決定され、国会へ提出されたものです。従来、難民申請が複数にわたって繰り返される問題、また、国外退去を命じられた人が帰国を拒否する問題、その結果、収容施設での暮らしが長期化し、結果として人間らしい暮らしができなくなる等人権の侵害につながる問題などが指摘されていました。これらの改善のために、特に悪質なケースについては速やかに国外送還手続きができるように、他方で、収容の無駄な長期化を防ぎ、難民申請者の福利厚生に資することを目的とした改正案が提出されたわけです。

 今回の見送りが事実上廃案につながるようなことがあれば、難民申請者の人々への待遇は改善されないことになります。また、庇護申請の濫用ケースに対応する職員の負担が増し、本当に難民性が高い人々を十分に審査するための人的資源がより乏しくなる可能性があります。アフリカや中東、ミャンマーなどからの難民申請者も増えはじめ、庇護審査を丁寧に慎重に行うべき人道上のケースが増えている昨今において、今回の事態はその障害にもなりかねません。

 これをして、「勝利」と捉えている政治家や活動家がいるとのこと、耳を疑います。何をもってそういう判断が出てくるのか。もっとも、敢えて同感できる部分があるとするなら、それは、早期の送還手続きを認めてしまうことで、真正の難民が誤って送還されてしまうという危険性です。難民の認定は意外と厄介です。本国で迫害を受ける可能性が十分にあるかどうか、ということがその重要な要件となりますが、本国の情勢が刻々と変わる状況にあった場合、数年前は大丈夫であったのに今は危険、という状態は十分にあり得ます。従って、複数申請をした、というだけの理由でその個人を虚偽申請者と決めつけてしまうのは、これは危険ではないか、と。その理屈はよく分かるし、大いに同意します。

 しかし、他方で、日本における複数申請者の約半数が、刑法犯など実刑判決を受けた人々であるという情報も上がっています。つまり、申請の理由は、本国で迫害を受ける危険があるからではない、ということになりそうです。

 それでは、なぜ彼らは申請を繰り返すのか?ここで紹介した産経新聞の記事でも取り上げられていますが、「送還停止効」という機能が関係しています。ある人が難民申請をした場合、その申請が終わるまではその人を本国に送還できないのです。ですので、申請が却下された後も申請を繰り返せば、それだけ長い間日本に滞在ができることになるわけです。

 これは、実は日本だけでなく世界各国で問題となっています。私は以前ドイツを訪ねたとき、担当官から同様の懸念を伺いました。また、イギリスは、2002年に法改正を行い、送還停止効力を事実上廃止しました。注目すべきは、この時のイギリスの政権はT.ブレアーによる労働党政権であったということです。つまり、リベラル的な価値観と、庇護申請の濫用を防ぐ、という目的は、矛盾しない、ということになります。

 ただ、制度の抜け穴というか、それでも真正の難民が受け入れられない、という危険が生じないか、というと、厳密にはその危険性は確かにあります。英国議会でも、法案成立前にそれが議論されていました。それでも法案成立に至った政治的土壌を斟酌するなら、2点挙げられるでしょう。1点目は、欧州における難民申請者数が膨大で、審査がうまく進まない中不法移民化する人が治安上の問題になっていたこと。そして2点目は、改正制度の成立後、それが的確に運用されているかどうかをきちんとモニターする枠組みが用意されていたからだ、ということです。実際、法改正から約10年後、政府はその効果を検証するレポートを発出しています。このレポートの冒頭には、"Since 2003, the Home Office has had the power to certify asylum and human rights claims that are without substance as ‘clearly unfounded’." (2003年以降、内務省(法務省)は、庇護の権利、人権擁護の主張がその本質を伴わない場合、これを「明らかに根拠のないもの」と認定する権限を得た)と記されています。繰り返しますが、これは中道左派、リベラル政権下での政策執行のあり方です。国内外での社会秩序を保つことと、人権擁護を尊重するという方針を両立させる過程において、毅然とした態度が求められることがあります。全ての人々へあたたかい眼差しが向けられるべき、という考えには同意しますが、それを政治においていかに実行するか、というときには、何が正しい方向なのか、についての正面からの議論が伴われるべきです。ある方が、そのためには客観性の高い報道により、多くの人が広く情報を入手できる環境が必要だと言われていましたが全くもってその通りです。先般の収容施設で亡くなられたスリランカ人女性の方には、その尊い命が失われたことをとてもとても残念に思います。しかし、今般の入管法改正案が事件を引き起こしたのか、というと、それは違います。むしろ、改正法案があれば、あるいは救われた命なのではないかとも思います。

 他方で、難民受け入れについての問題は、私は政策の議論として展開すべきだと思っています。つまり、庇護申請を通じてしか難民の受け入れが(ほぼ)できない、という状況そのものを問題視し、もっと外交的な政策としての難民受け入れのあり方が検討されるべきでしょう。そのためには、諸外国のように、難民受け入れを外務省や厚労省など他の省庁の重要政策として推し進める考え方も広く協議されるべきでしょう。そもそも、なぜ難民条約に基づく難民の受け入れが少ないのか。その理由は、難民条約そのものが「(過去の)ヨーロッパの難民」の受け入れを目的とするもので、アジアやアフリカなどからの難民を受け入れるような条文が事実上ないからだ、ということを皆さんご存知でしょうか(先般この趣旨の論文を書きましたので、ご参考までにどうぞ。有料ですみませんが、大学図書館などを経由すると無料で入手できるかもしれません)。今回の収容施設での事件は確かに痛ましいですが、このような事件が二度と起こらないように、マスメディアでは、是非多様な方向から難民受け入れについての議論を深掘りし、広げてほしいと強く思っています。




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