みなさん、明けましておめでとうございます!今年もどうぞよろしくお願いいたします。
日々の忙しなさを言い訳に久しくブログを書いておらず、お恥ずかしい限りです。先日ひょんなことから私のブログを読んでくださっている方と実際にお会いし、期待していただけているのだなと嬉しく思うと同時に、あまりズボラすぎてもいけないな、と反省しました。
昨年は、若い人風に言えば(いや、もう古いですか?)「リア充」的な毎日を送ることができており幸運でした。ともあれ(^^)昨年を通じていろいろなことを発見しました。何をさておき、これまで細々と続けていたことがここにきてようやく多くの人に共感してもらえるようになってきたことは幸甚の至りです。これまで、私はどちらかというと政策評価に関心があり、かつ外国人に関する政策を対象としていることから、外国人(労働者)の保護と、受け入れ社会の国民(労働者)への保護とのバランス調整というところに注目してきました。これまでも公の場などでバランスが大切という趣旨の発言を貫いてきたのですが、比較的若いころはストレートな物言いが多かったからか、厳しい反応を受けることもありました。今でも覚えているのは、15年以上前になりますが、アメリカのリベラルなシンクタンクと一緒に移民や難民についての国際会議を開催した際のことです。当時、ドイツのベルリン、クロイツベルクでの小学校区の中で、トルコ系の小学生がドイツ系の小学生の人数をはるかに上回り、ドイツ系の小学生がむしろマイノリティとなりいじめられている動画をYouTubeで偶然見たことをきっかけに、私はその国際会議の場で、外国人との共生をめぐる問題において、マジョリティ・マイノリティ関係が逆転する現象が生じはじめた、という話をしました。その話をするまで私にとても好意的であった米国人が、発言後は手のひらを返したように冷たく私に接しました。私はその場が純粋なアカデミズムの場であると思っていたため、ひどくショックを受けたことを覚えています。
なによりも、移民がいつでもマイノリティ、かつ差別を受ける側で、ネイティブがいつでもマジョリティ、かつ差別をする側とは必ずしもならない、ということは、すでに1990年代のアメリカのアカデミズムで分析されていたことでした。それはつまり、移民のニューカマーとオールドカマーとの社会摩擦といった観点から説明されていました。移民に厳しいのは移民であることもあり、また、移民もネイティブに対して高圧的、または差別的な対応をとることもある、という指摘でした。こうした学術的な蓄積がありながら、常に外国人の側のみの社会問題を課題とし、ネイティブが受ける問題を無視し続けるという姿勢を、いわゆるリベラルの一部の人々が続けてきたということは、アカデミズムの観点からは大きな問題であると思っています。
もちろん、外国人すべてが悪人というわけではありません。それはネイティブすべてが悪人ではないということと同様の当然の事実です。問題なのは、生じている社会問題のすべてに目を向け、その問題解決を探るという公平な姿勢をアカデミズムが十分に尊重してこなかった、ということなのです。
こういった問題の背景には、移民や難民をめぐる問題が政治や外交の問題とはかけ離れたものとして長い間扱われてきた、という事実がありました。特に政治や外交を研究する側からは、主要な争点(イシュー=エリア)は軍事安全保障や経済問題であるという共通理解に加えて、人の越境移動(マイグレーション)をめぐる問題は外交分野で取り扱われるべき分野ではないという暗黙の了解があったように思います。いろいろな意味で、私も実は本来的にはマイグレーション問題は外交問題となるべきではない、と思っているのですが、現実においてはすでに外交問題の要素を色こく帯びるようになってきている、というところなんだろうと思います。
その心は、と言えば、外交問題や国内政治問題としてのマイグレーション問題は、軍事安全保障や経済問題と密接に関連した問題として位置付ける必要があるのだと思います。以前は、人の越境移動のプロセスやその結果を政治や経済問題と結び付けずに考えることのできた時代もあったと思います。しかし、今はそうなっていない。それは決して、昔はそうだったが今は違う、という意味ではなく、ある種の循環を成しているようにも思えます。つまり、(国際)政治や経済と、社会の動きが連動する時代とそうでない時代、もしくは各要素の連関が調和的である時代と摩擦を生じさせる時代が繰り返すイメージです。
政治や経済の問題と社会の問題が密接に絡まり合い、緊張や摩擦を生む可能性が高まっている今の時代においては、そのネガティブな側面を見ないふりをするのではなく、敢えてそこにメスを入れ、治療の方法を考えるというアプローチが必要なのだと思います。米国で(現代)国際政治学を打ち立てたハンス・モーゲンソーのように、現実を見つめ、実証するという視角がマイグレーション研究にも必要なのだと思います。
米国を中心とするマイグレーション研究の新しい潮流は既に、そのような現実アプローチに基づくものが主流の一つとなっています。アジア諸国の政策研究にもこのアプローチを広げようとする動きも出ています。これは私のような研究者にとっては良い流れです。ただ、みなさんに理解していただきたいのは、現実主義を唱える国際政治学者が決して軍事力を礼賛しているわけではないのと同様に、移民や難民の受け入れをめぐって、外国人だけを擁護すべきと世論をミスリーディングするような人々を批判する我々のような研究者も、社会が十分に包摂的であり、また外国人とネイティブとの共生が互恵的なものになることを願っているということです。
今年は以上のような願いを込めながら、公の場での情報発信に努めます。政府との関わりでは、昨年末から文科省「専門学校の質の保証・向上に関する調査研究協力者会議」委員、そして法務省「第8次出入国管理政策懇談会」委員を務めます。このほか、経済界やマスメディアのみなさんとも引き続き連携を図ってまいります。そして、研究面では文科省科研プロジェクトのほか、上智大学学内共同研究プロジェクト、上智大学国際関係研究所のプロジェクトを一手に引き受けることになりました。引き続きみなさんからいろいろとご指導やアドバイスをいただきながら良質のアウトプットを目指していきたいと思っています。どうぞ本年もよろしくお願いいたします。
Comentários