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ウクライナ避難民支援と国際協力の未来(2)

 夏休みということもあり、珍しく続けて投稿します。

 前回は、ウクライナ人の受け入れをEUが一時的保護の受け入れとしたのは、庇護申請手続きでは難民条約上の極めて狭い難民の定義を適用しなければならず、結果としてほとんどの人が受け入れられないからだ、という話をしました。

 今日は、それではウクライナの人だけをEUや国際社会が積極的に支援するのは他の難民や強制移動の被害者への差別ではないのか、という話をしていきたいと思います。

 結論から言うと、差別的側面とそうでない側面の両方がある、ということだろうと思います。まず、旧ユーゴスラビア紛争にせよ、今回のウクライナ危機にせよ、少なくともEUは通常の庇護申請手続きでは受け入れられないということが分かっていて、であるからこそ即時に一時的保護指令の発動に動いたわけです(旧ユーゴの場合は法制化に動いた)。特に、今般比較的多くのウクライナ難民を積極的に受け入れているのは、ポーランドやハンガリーなど、シリアや中東からの難民に対しては極めて厳しい対応を取った国々です。

 なぜ、従来の対応とこうも違うのか、という質問に対して、ブルガリアのペトコフ首相は極めて率直に答えています。「今回(我々が受け入れるのは)ウクライナ人=ヨーロッパ人だ。身元が分からない、国籍や民族も不明な、テロリストかもしれないような人々とは違う。」またこうも付け加えています。「言い換えれば、今回難民の流入を恐れている欧州の国はないだろう。」

 この記事では、ペトコフ首相のコメントは「レイシズムとイスラモフォビアが混ざったもの」と評されていますがまさにその通りでしょう。ウクライナ人でない人は教養がなく、法や秩序を守らない、と決めつけるかのような含意があり、シリア人にせよアフガニスタン人にせよ、紛争や内乱を逃れてきた、という点ではウクライナ人と何も変わらないのに、勝手に人の属性を決めるな!と言いたくなったとしても不思議はないでしょう。しかし、同時に、ペトコフ氏があたかも移民排斥を主導するような人種差別主義者であると決めつけるのも行き過ぎのような気がします。彼の最後の発言にあるように、難民=テロリストの流入はブルガリアや他の欧州諸国の治安を脅かすかもしれない。よく分からない人たちを身元も調べず受け入れるのは国家元首としての責任を果たすという意味でも不適切だ、という考えはわからなくはありません。ペトコフ氏の発言は、率直すぎるものではありますが、何かのイデオロギーに拠った発言というよりは、実務にあたる政治家の本音と捉える方がよいように思います。

 ただ、ちょっと意地悪な見方をすれば、ウクライナ人がテロ行為をしない、という保証はどこにもないだろう、とも言えます。問題の本質は難民個人ではなく、難民を取り巻く国家間関係にある。意図的なのかそうでないのかわかりませんが、そこに触れないという意味ではペトコフ氏も100%率直だというわけでもないのだろうと思います。

 東欧をはじめとする欧州諸国がウクライナ避難民を積極的に受け入れたことで明らかになったのは、少なくとも第二次大戦後の難民問題は究極的には国家間の問題だということです。つまり、難民の受け入れ国、発生国、難民問題につながる紛争への当事国が、紛争後の難民発生国への復興支援をいかに行うか、またそのための支援にどの程度積極的に関与するか、ということが、受け入れの決定要因になりうる、ということです。先の日本国際フォーラムでのコメンタリーに書いた通り、アメリカやEUがウクライナの復興支援に一定の関与の動向を示している(ウクライナがEU加盟候補国となった、ということも少なからず影響している)。とりわけ、東欧諸国は、平和が戻った後のウクライナと投資や貿易などを通じて密接な相互依存関係を結ぶことができる。また、多くの受け入れ国政府内では、ウクライナ人は事態が落ち着いたら本国に帰るだろうとの共通の前提がある。総じて、欧州諸国は「恐れる必要がない」という判断を下したのだろうと思います。一時的保護、とは、いくら更新可能とはいえそもそも時限的な滞在を認めるものですからね。。。庇護権は一生庇護国で暮らすことのできる権利ですので、権利付与が個人や社会に与える影響も全く違うわけです。

 このように見ていくと、シリアにせよ、アフガニスタンにせよミャンマーにせよ、米国や欧州諸国が積極的に関与し、共同経済圏構想まで視野に入れた互恵関係を発展させればいいわけです。理論的には。けれども現実の世界では、欧米にそのインセンティブはほぼ皆無でしょう。中国は投資面での関心を寄せるでしょうが、それは西側でスタンダードとなっている人権尊重をベースとした社会形成からは程遠いだろうことは容易に想像できます。日本がこの役割を買って出る、ということは、国土や人口の問題はさておき、そもそも、日本にそのような外交上のパワーはありませんし、国益追求も兼ねたwin=winプロジェクトとして展開させるだけの力や知恵を持った政治家も残念ながら当面現れないでしょう(安倍元首相ですら、難民問題へ積極的にコミットするというところまでは至りませんでした)。

 国際社会の現状が仮に私の見立て通りだとすると、「人種差別だ!人の道から外れている!」と非難したところで、大国にとっては痛くも痒くもない、という話になります。もちろん、批判がない世界ほど恐ろしいものはありませんし、人権NGO団体の存在意義はまさにそこにあると思っています。しかし、教条主義的なコメントをするだけで問題が解決されるという甘い話ではない、ということを識者は肝に銘じるべきだと、自戒を込めて思うわけです。大国はシリアや中東、アジアアフリカ諸国での難民問題の悲惨さを知らないから対応しないのではなく、知っていても対応していないのです。それを非道だ、とせめたところで何も変わらない。現実的な変化を促すには何が必要なのかを、私たちが真剣に考える時代がきた、ということなのかな、と思っています。



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