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外国人受け入れはwhether or notではなくhow!?(2)

前回は自分語りのようで失礼致しましたが、もう少し続けさせてください。


きっかけ①:欧州単一市場

 私がなぜ人の移動に関心を持つようになったのか、ということですが、欧州統合、特に単一欧州市場の登場は、私にとって非常に大きなインパクトでした。当時、「ボーダーレスな世界」、「ひとつのヨーロッパ」、「ヨーロッパ市民」などという言葉が、まるで世界の成長を促す呪文であるかのように巷に溢れていました。実際、国境を越えるヒト・モノ・カネの移動は規模の経済の観点からも市場を活性化させると言われていました。実際、欧州単一市場は域内での要素移動を活発にさせ、また米国や日本など域外からのFDIも惹きつけ、欧州統合プロジェクトとしてはひとつの成功だったように思います。しかし、要素移動といっても実際はモノとカネが主体で、ヒトの移動については期待されたほどでもない、ということが、当時から指摘されていました。一般の人は、住み慣れた地域で、母国語が通じる場所で働き、生活することを好むということでした。つまり、人々は、少なくとも日常生活に関する領域では多文化よりも単独の文化を志向する、ということだったんだろうと思います。

 他方で、都市部では、少なからず多文化の波が押し寄せた?ことは事実だろうと思います。私はフランスが好きで、これまで何度か訪れたことがありますが、最初にパリに行ったときは、フランス語がほとんどできず、英語でなんとか通用しないものかと思っていたのですが、訪れる先々で、通じなかったり、また、通じているだろうけれど無視されたり、と散々でした(今にして思えば、パリジャンの流儀だったんだろうなと思います。言葉が通じなくても道を教えてくれる、粋なおじさまもいらっしゃいました)。

 数年後パリを訪れたときは、その変容ぶりに驚きました。この頃は私はスイスでフランス語を学んでいたので、ある程度フランス語ができるようになってはいたのですが、多分英語だけで通そうと思ってもなんとかなりそうな街の雰囲気でした。地下鉄やバスの標識にも英語が使われるようになったり、レストランでのメニューや注文も英語でOKになっていたりと、その変容ぶりは目を見張るほどでした。何より象徴的だったのは、レストランで食事をしていたフランス人のご夫婦が、同席していたご友人らしきご夫婦に、フランス語訛りの(失礼)英語で得意気にお料理の説明をしていたことでした。昔だったら、英語が分かっていても話したがらないのがフランス人だったろうに、と思うのです。。ほんのたまたま、英語が好きな人を見かけた、というだけかもしれませんが。

 1990年代のフランスでは、一方では確か、外来語としての英語を払拭しようとする動きがあったように記憶しています。PCと言わずにl'ordinateurと言おう、とか、McDonaldやPizza-Hutは買わないようにしようとか(多分現実的には無理だったでしょうけれど)、そんな風潮があったような。他方で、英語を積極的に取り入れようとすることは、フランス人が「ヨーロッパ人」になるひとつの文化的なプロセスだったのかもしれないですね。

 今にして思えば、それが全てのフランス人にとって歓迎すべき動きだったのかどうか、ということを振り返る必要があったのかもしれないですね。当時を生きている人々にも分からないことだったのかもしれませんが。

 ともあれ、当時はヨーロッパがひとつになる、という楽観的なムードの中で、シェンゲン体制、つまり域内国境での検問(パスポートチェックなど)がなくなるというシステムが生まれてきた、ということです。言い換えるなら、シェンゲン体制を作り上げるのに、事前に欧州各国の民主的な手続きは一切なかった、ということです。多文化を受け入れる、外国人を受け入れることについての国民による成熟した議論がないまま、シェンゲン体制が生まれた、ということになります。

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