なぜ菅政権ではダメなのか?危機における「女性的」リーダーシップ(1)

みなさま、新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 年明けは明るい話題でと思ったのですが、残念ながら現況はそれを許してくれないようです。パンデミックは衰えをみせず、変異種のコロナウィルスが複数確認されるなど、事態は深刻なままです。とうとう緊急事態宣言が発信されるようですが、他方で一部の越境的な人の往来は続行されるようですし、どうも中途半端な印象を受けます。ただ、これは完全に全面停止すべき、と言っているわけではありません(その方がパンデミックを止めるために有効だ、という理屈は全くもってその通りだとは思いますが)。現実的な対応として、一部の例外として人の越境的な往来が寛恕されているのは日本だけでなく全世界においてです。ただ、そのような人の往来を放っておくのは全くもってよろしくないわけで、彼らが(出)入国の権利を持っている、ということとは別の問題として取り扱うべきです。具体的には、該当する人々の健康状態、もしウィルスに罹患している可能性があるならその人の移動経路、来訪先についてのあらゆる情報を我々が把握できるようにしておくべきでしょう。特定の個人と結び付けなければ、いくらでも情報の発信はできるはずです。出入国管理行政はこの点で「通常運転」であってはならないのです。関係する方々にはぜひこの点留意していただきたいと思っています。

 ところで、本日は菅(すが)政権が難局に立っている昨今の状況について雑感を述べたいと思っています。結論を先に言えば、この危機の時代において求められるのはまさに女性「的」リーダーシップ。ですが、菅政権は正反対である。だからこそうまくいっていないのだ、ということです。ご承知の方も多いかと思いますが、私はジェンダー論を専門にしているわけではなく、いわゆるフェミニストでもありません。ただ、まさに女性であるから故に社会で経験したことがいくつかあります。自身の経験をもとに、問題提起をしてみようというのが今回の試みです。


女性のメリット、デメリット

 一般的な男女差については語り尽くされていると思いますので、ここでは社会に女性が参画するにあたってのメリット・デメリットに絞ってお話ししたいと思います。私は一般企業、官庁、国際機関、そして大学で働いた経験があります。比較的長くいた場所とそうでない場所がありますので、どこまで概観できるか、限界はあると思いますが、大きな強みは、一度でも足を踏み入れたことでそれぞれの業界との接点が生まれ、その後そのネットワークを維持拡大する機会に恵まれたということです。今は大学で仕事をしていますが、他の場所で働いた経験がない方に比べ、企業、官庁、国際機関の方々と共同作業をする際、それぞれのお立場にとって重要な案件は何か、ということに少なくともattentiveでいられるのではないかと自負しています。

 それはさておき、多様な場所で、私は女性であること、また「女性的」であることについて何度も考えさせられてきました。ここでは、物理的な性差、というよりも、社会的な生物としての性差についてお話ししたいと思います。俗に、男女それぞれに特異な思考力や形式があると言われることがありますが、これは性差というより人間としての成長における環境の差に起因するものと思います。男性的な女性もいるし、女性的な男性もいる、ということです。より一般的な社会的次元では、「女性(的)であるということ=社会的にヨソモノ的な存在であること」、という定式が成り立つのでは、と思います。現実世界において、社会人である限り、ただ物理的に女性であるだけで差別を受ける、ということはあまりなかったように思います。ただ、より有用な存在になりたい、あるいは自分の価値をより高く評価してもらいたい、という希望(野望?)が生まれたときに障害になるということは多々ありました(ただ男性である、という方に比べた場合です)。どういうことかというと、女性でも、社会で活躍する方はたくさんいらっしゃいます。が、そういう社会で活躍する女性の多くは、何らかの「男性的」な結びつきと関わりがある方だと思います。お父上やご先祖が関連業界において偉業を成している(その道の師匠である場合はもとより、名家であるとかお金持ちであるとか。。)、旦那様が影響力を持っているといった場合が最も端的な例です。より間接的には、例えば、財務省出身であるとか、大手財閥での勤務経験があるとか、あるいは東大、京大出身である、とか、社会を中心的に動かしていると見られているようjな(=男性的な)組織との関わりがある女性は、そうでない女性と比べて出世しやすいでしょう。私もそのような恩恵を受けてきた一人だと思っています。つまり、決して自分の実力だけでここまで来たわけではない、ということです(これからもっと精進する必要があることは承知していますが。。)。

 逆に言えば、ある女性が持っている力を評価できない人からすれば、その女性の持っている付加価値は全く無価値になるわけです。私は比較的恵まれた方ですが、それでも、思わぬ低評価を受けてがっかりしたことは多々あります。同じ経験をされた方も多いと思います。そして、ここまで私が述べてきたことについて、何も女性に限ったわけではない、男性もそうだ、というご意見を持つ方も多いのでは、と思います。そこで私が申し上げたいのは、「その通り、でも男と女では程度が違います」ということです。

 思うに、世界は人間社会で成り立っているので、ビジネスにしても政治にしても、人間同士の関係構築が全ての基盤となっています。そこで必要となるのは、相手が自分の信頼に足る人かどうか、一緒に有益な仕事ができそうか、という判断だと思います。その判断の根拠となる情報の中に、相手がどういう社会経験を積んでいるか、どのような能力があるか、という「事実」と、それをどのように評価するかという「認識」の双方が含まれている、ということが重要なんだと思います。つまり、本当は宝玉なのにガラス玉にしか見えない、とか、逆にガラス玉に過ぎないのに宝玉だと思い込む、とか、そういった誤解をしやすいのも人間だということです。そして、そういう意味での誤解をよりされやすいのは「女性(的な人)」だということです。

 人間はどんどん成長しています。様々なネットワークに触れ、そこに関与することがどのような意味や付加価値を持つのかを学習していきます。その中で、この学歴ならば、この企業ならば、この集団ならば、この経歴ならば、といった様々な属性と個人を結び付けた判断をしていきます。そこに、性差がするりと入り込むことがあります。ある男女が同様の経歴を積んでいたとしても、社会人は女性より男性を信頼する、という構造です。一つの例を紹介しましょう。私はつい最近あるテレビ関係者から出演を依頼されたとき、シンクタンクに御所属の別の方(男性)と共演するという話を伺いました。話の中で、そのディレクターの方は、その男性については「(移民問題の)専門家」であるから依頼をしたと、そして私には「女性が一人欲しいので(出演してください)」という依頼の仕方をしました。ここまではっきりとは言わなかったので、私もまさかそこまであからさまな扱いを受けるとは当時は思わなかったのですが、その後収録に臨んだ時、アナウンサーの采配の振り方、実際の報道のされ方を見て非常にがっかりしました。能力の問題を言っているのではありません。シンクタンクに御所属の方は個人的にもよく存じ上げており、非常に優秀な方なのは承知しています。しかし、仮にも私は大学で研究をしている身で、彼は企業(ビジネス界)の人間なのです。後者を専門家と呼び、私を女の子(にしては歳を取り過ぎていますが。。。苦笑)扱いする、というこのメディアの姿勢には愕然としました。なお、テーマはまさに私の専門分野のものであり、関連する論文をいくつか提供し、先方のディレクターが事前に目を通す時間が十分にあったにもかかわらず、です。

 今にして思えば、私がもし「男性の学者」であったならば、このような扱いは受けなかったのではないかと思います。一方的に先方を責めるつもりはありません(最初から番組の趣旨についてもっと突き詰めて検討しておくべきでした)。しかし、このときに感じたのは、「なるほど、世間は今まで私が培ってきた社会経験を、今までと同じように認識してくれる人たちばかりとは限らないのだな」ということでした。これまで、企業、政府、地方自治体、そして国内外の同業の研究者の方々から仕事の依頼を受けてきましたが、上記のような扱いを受けたことはほとんどありませんでした。繰り返しますが、個人として私が他の方より優れているか、劣っているか、という問題ではないのです。率直に言えば、自分はそれほど優れた人間ではありません。学兄の方々はもちろん、若手の研究者の方がからも日々学んでいる毎日です。また学究以外の世界の方と触れ合うときも、それぞれの業界の方々から目から鱗のお話を聞かせていただき、勉強になるなあと思うことばかりです。そして、実際に学問の世界以外の方が学問について慧眼であることはよくあることです。おそらく逆もありうると思います。ですので、自分が学者だからエライなどというつもりは全くないのです。

 そうではなく、社会で人間関係を構築する際、相手が何を生業としているのか、それをどのように自分のプロジェクトに生かすのか、という判断をする際に、男性か女性か、という判断が紛れ込んでしまうこと、その危険性にこのディレクター、そして番組を作る人々がなぜ気づかなかったのか、ということを重要視したいと思うのです。それは、偏見と正常性バイアスへの拘り、ということなんだろうと思います。この方々だけが持っているのではなく、もしかすると立場が違えば私も共有しているかもしれない、日本の多くの人が共有しているかもしれない兆候として、取り上げたいと思います。なぜなら、それが結果として菅政権を発足させ、コロナの第2波(第3波)へのスマートでない対応を生み出しているからだと考えているからです(続く)。


 








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