なぜ菅政権ではダメなのか?危機における「女性的」リーダーシップ(2)

更新日:2021年1月12日

前回の続き

 また例によって自分語りが過ぎてしまったのでここらへんでやめておきます。

偏見や正常性バイアスへの拘りと女性「的」リーダーシップへの期待がどのように結びつくか、ということに的を絞って、今回は書き進めたいと思います。

 日本人の場合、比較的安心、安全を望む人が多いのだと思います。これが元々の日本人の特性なのか、それとも第二次大戦の敗戦を経た集団アイデンティティの形成過程なのかは分かりません(それこそ専門家のご意見を仰ぎたいと思います)が、現時点での国民性としては、おそらく慎重に、丁寧に、石橋を叩いて壊す!くらいの対応を好む人々だと考えてよいかと思います。そのために有用なのは、既存の情報とそれに対する固定的な評価です。失敗や間違いは許されない、そのためには、多くの人が「良い」としている評価に与しようー。それが無難な考え方なのは間違いありません。しかし、その「多く」の評価が間違った判断を招くことになったらどうするか、、、そのことについて、これまで日本では責任を問われることはありませんでした。あるいは責任があったとしても無視されてきたと言ってもいいかもしれません。多数の、あるいは大きな声に従っていれば無難だ、そこで不利益を被る人が出てきても、それは少数派か、声の小さな人なので気にすることはない。。とまで冷酷ではないと政策担当者はおっしゃるかもしれませんが(そしてその通りなのかもしれませんが)、結果的にはそういう積み重ねの結果が格差の拡大につながってきたのでは、と私は考えています。

 実際、組織の中で、前例のない決断を下すのは難しいです。発言の責任を取れるのか、もし失敗した場合は自分の信用を失うのでは、とか、敢えてここで連ねなくともネガティブな理由を探し出すことはそんなに難しくないでしょう。そして、男性的であればあるほど、難しさは増すでしょう。それまで築いてきた自分の信用、人間関係全てを失うことになるのではないか、と。


菅政権は本来「女性的」、なのに。。

 これに対して、女性的である、ということは、この点比較的自由です。もともと、社会的な人間関係が希薄である、意思決定の主要なグループに入っていない人々は、実際に男性であろうと女性であろうと、失うものはないという意識でことにあたっていけるでしょう。実際、菅総理に人々が期待したのはこういうところだったのではないでしょうか?無派閥で、かつ世襲議員でないこと、そして、(失礼ながら)短期に終わるだろうとみなされているという状況を逆に巧みに利用して、しがらみのある人ではできない決断をバシバシとしていただけるのではないか、と。ある意味、女性的であったはずです。ところが、意外にも菅政権のコロナへの対応は遅かった。この理由について専門外の私が語るのは畑違いにすぎるかもしれません。しかし、それこそ素人目線で感じるのは、菅政権はもしかすると、説明不足、あるいは説明のための十分な情報収集や熟慮を怠っているのでは、ということです。

 女性的であることは、思い切った決断ができる、という意味で自由です。しかし、それがなぜ有用か、ということについて、理屈で説明ができなければならない。多くの女性が(男性も)共鳴してくれることを願いつつ書きますが、前例のない決断をするのはそれが必要だからです。しかし、男性的な人はその必要性を分かっていても、保身のために見て見ぬふりをしてしまう。見て見ぬふりをする必要がないのが女性的な人です。しかし、逆境には立ち向かわなければならない。反対する人は多い。元々仲間が少ないのですから尚更です。共感してももらえない。しかし、国難は目の前にある。そんなときにどうするか?


決断は勇敢に、説得は丹念に

 見て見ぬふりをせず、勇敢に決断をくだし、その必要性を丹念に説明する。この繰り返しが必要なのではないでしょうか。ここまで書いてきて察していただいた方も多いと思いますが、女性的であるということは、自由ですが決してラクではないのです。少ない仲間を一人ずつ増やすために、説得をしていかなければならない。であるからこそ、平時にはあまり必要とされないのかもしれません。思うに、サッチャー、メイ、メルケルだけでなく、チャーチルでさえ、この点ですこぶる「女性的」だと思うのです。今の日本には、こういった女性的なリーダーが求められるのではないか。そして菅政権にはその資質?があったにもかかわらずなぜそれを発揮できないのか。「決断の遅さ=慎重さ」、の段階ならまだいいですが、「決断の遅さ=怠慢と保身」となっていないか。なんとなく分かってくれる仲間うちだけで政治運営をするには、現代はあまりにも流動的で不確実性が高いです。今こそ求められるのは、女性的なリーダーシップ。決して男性(的なもの)に対抗するものではなく、男性(的なもの)の背中を押す、おしりをひっぱたく(失礼!)ようなリーダーシップなのではないかと思うのです。



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