あけましておめでとうございます。
私事で大変恐縮ですが、年末年始、インフルエンザやその後遺症?に悩まされ、なかなか精力的に活動ができずにおりました。
それにしても、長いことブログを書いておらず、久々に開始することとなりました。
昨年度は欧州出張、学会発表等と目白押しでしたが、どれも実りある成果を上げることができました。久しぶりのジュネーブ、ブリュッセル、ロンドン出張でしたが、変わっていたことと変わっていなかったことが同居していたことに驚き。街の佇まいはどの都市も数十年経ってもほとんど変わっていませんでした。これは欧州ならでは、と感動。変わっていたことは、日本から欧州出張するのに、こんなに懐の淋しい思いをすることはなかった、ということでした。仕事柄、欧州には何度か訪れていますので物価の変動を身にしみて感じることはありました(特にイギリス)。しかし、今回は、なんというか、特定の国での物価が高騰している、というよりは、押し並べてどの国もインフレが続いている中、為替変動の影響で日本からの旅行客にとっては特に厳しい、という事情があったように思います。はるか昔、日本が固定相場制だったころ、アメリカやイギリスへの留学にとてもお金がかかった時代を彷彿とさせるような、と言っては大袈裟かもしれませんが、そんな感覚がありました。数年前、英国大使公邸で英国留学にゆかりのある方々との交流の機会に参加したことがあったのですが、そのとき、70歳を超えていると思われる方々から、当時の英国留学の話を伺ったことがありました。思えば、その時代に英国留学ができた、ということだけをもってしても大変な資産家の方々であったとは思うのですが、それでも、いろいろとご苦労されたことを伺いました。その後月日が経って円高も進み、私が大学生の頃は、おそらく国外留学をするのには(資金的には)最適な頃であったろうと推察します。国際化=欧米への留学増加という認識が高まり、日本の海外へのイメージが非常に良くなった時代であったろうと思います。その後、バブルの崩壊を経て、また、中国や韓国からの欧米への進出度合いが高まってくるという事態を経て、日本人の国外との交流というものも少しずつ変質していったように思います。
いろいろな要素が複雑に絡み合っているのだろうな、と思います。一つには、韓国や中国の経済成長に伴う欧米世界との交流の深化があるのでしょう。私のよき友人の一人は現在米国のいわゆるアイビー・リーグの大学で教鞭をとっている韓国人なのですが、彼女は小学校卒業後、親に連れられて米国に移住し、米国で英才教育を受けたそうです。また、私はケンブリッジとオックスフォードにて(時期は違いますが)それぞれ客員研究をした経験がありますが、それぞれの時期に知り合った中国人学生の方々は、欧米に既に住み着いていた「中国系」の方々とは全くルーツが異なる方々で、むしろ「外国人」に近いような感覚を覚えると言っていました。それから、もう10年前になりますか、初めてハワイに訪れた際、日系が多いだろうと思いきや韓国系、中国系の人々が多いことに驚きました。それぞれ異なる思い出ではありますが、私が感じたことは、日本が通ってきた経済発展+国際的な信用の向上、という道程を、韓国、中国も辿ってきたのだな、ということです。その結末がいかようになったか、という点については、皆様お察しの通り、三国がかなり異なる態様となっているのですが、ともあれ、西洋世界に追いつこう(あるいは追いつかなければ?)というプロセスにおいては、これらアジアの国々は同じようなプロセスを経ているのではないか、と思えるわけです。
だから何?という反応があること、甘んじて受け止めます(笑)。私自身、これまでの世界変動を体験するなか、何を語れるのか、いまだに分からないところが多いです。ただ、あくまで感覚として語れるのは、これだけ西洋の没落が危機的に語られ、またアジアの復興がめざましいという認識が高まる中、アジア諸国は本当に世界を主導する存在になり得るのか、疑問だ、ということです。日本はバブル崩壊後「失われた数十年」からいまだ復興する兆しが見えません(安倍政権はそこから脱却しようとしていたのに、と思うと本当に残念です)。韓国は未だ内政面での問題解決が図れていないように感じます。そして中国は、国際社会における優先的上位を獲得すべく動いていることは確かでしょうが、その結果、いかにしてリーダーシップを発揮しようとしているのかが不明瞭です。俗っぽい言葉で言えば、「マウンティング」をすることだけに熱心で、その結果何がしたいの?ということについてはなかなか見えてこない、というところでしょうか。
欧米世界が混乱し、中東やアフリカ、中南米の混乱に対処する能力を相対的に失っている中、本来であればアジアへの期待が高まるところですが、それができない理由がこういった実情に起因しているとすれば、それは憂慮すべきことです。私は同業者の一部界隈には現実主義者と見做されている(自分自身、仕事のアウトプットはそうであるべきと思っています)きらいがありますが、実は大きな理想があります。それは、できうる限りアジア諸国が民主主義的理念を共有するということです。世界経済における重要性を増しているならなおさらのこと、世界における正統的なリーダーシップを発揮するためには必須な条件であろうと思います。しかし、現実がそれに程遠いということも確かで、そういった理想に向けて尽力する政治家が、日本も含めどこにもいないのだろうか、ということを思うと悲観的になります。
地震や事故などでこれだけの不運にさいなまれた日本が今後頑張って浮揚して、できうることならアジアや世界を牽引するパワーを備えることができるよう祈念します。皆様の幸せを心からお祈りし、新年のご挨拶といたします。
Comments